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国際秘密力から


http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/ijcindex.html


国 際 秘 密 力




       --- 世界世論に関する法廷のための論議 ---


            大和魂を持つ日本人に捧ぐ




           ジョージ・ランボーン・ウェスト
博士 著




               平成8年正月


7部26章より


ウィロビーは、大和魂に忠実な人々を上から下まで一掃しようとした。また彼は、教育界、政界、政府の全階層、そして意思決定がなされるあらゆる分野でしかるべき地位にあった人々、で独房を満杯にすべく取り計らった。ここにおいて特に問題であったのは、大和魂にまさに反する人々を日本の中枢機構に配置し、まず彼らをIJCに服従させて行動を束縛したことであった。当然ながら彼らの労働の結実として期待できたのは、米国の複写となった50年後の日本の姿だけであった。また完全な複写とまでは行かなくとも、その独

 特な島国の人々を彼らに率いられて可能な限り米国の複写に近付けられた日本の姿であった。


国会は粛清され、占領法規の下で明治憲法は廃棄され、新たに『フィリピン用に作られたメイド・イン・アメリカの憲法』が採用された。この辺のすべての事情に関しては、自著『強要された憲法』の中で大量の証拠類を基に極めて詳細に議論しているので、ここで再度繰り返すことは省かせて頂く。ここでは次の事を言うだけに止めたい。1960年代に私がこの問題に気付いてから、私が話しかけた私心のないすべてのアメリカ人は、下は鉛管工や農夫から上は連邦最高裁長官に至るまで、一様に『日本は何故自分たちの憲法を取り戻そうとしないのか』と言っている。自分たちの憲法とは当然ながら明治憲法のことである。私も全く同感である!国会の粛清は、派閥まで考えると数え切れないほどの多くの政党を生むことになったこれは引き続いて贈収賄と腐敗の横行を招いた。これらIJCの政治的手先たちには、知っていてIJCに仕えている者と、無知な間抜け者とがいるが、いずれにせよIJCが背後から糸を引き、すべて日本の破壊のために使われているのである。その手先たちの一覧表には戦後の日本の首相の殆どすべてが含まれるであろう


注目すべき一人の例外は、『マッカーサー憲法』のために長年咎を受けている故幣原喜重郎男爵である。私はここに挿絵的に、彼が死ぬ少し前に書いた偈<1> を添付しておく。この偈は、彼がIJCによっていかに使われていたかということについて、彼の思いを表している。


  【幣原喜重郎偈】


  有  声  之  声           有声の声は     


  不  過  百  里           百里に過ぎず、   


  無  声  之  声           無声の声は    


  施  於  四  海           四海に施す。    


 昭和二十一年一月五日

幣 原 喜 重 郎 花押

(淮 南 子)




この偈は日本の憲法に関したものであるが、私には、長年の外交官活動が実はIJCの使用人としての活動に他ならなかったという、彼の心底を託したものの如くに見える。これはまた、昭和天皇の下での戦前の日本においてIJCの侵入と深い支配が有ったことを証明している。このことを言明することは特に警戒されている。そう、これは彼らにとって極秘にしておくべき事項なのであって、誰かがこれについてもっと言明したと

 したら、彼および彼の子孫を死の危険に曝すことになったであろう。IJCは、彼らの目的と活動に身を委ねた多くの諜報機関および諜報員の中から誰かを選び、暗殺に従事させるのである。GHQ占領下での企業経営においては、ある程度『米国企業』と提携しなければ、原料や物資を得ることはできなかった。そしてこれら日本の純真な人々は、その米国の企業や企業人たちが何物で、何を代表しているのか、またそれらは

 殆ど常にユダヤ人たちがIJCのために所有していたなどということは、殆ど想像もできなかった。無邪気な日本人たちは、そのユダヤ人たちを英国系の真の米国人と考えていたのであった。


私たちはすべての形態の日本のメディアについて既に言及してきたが、今日それらはすべてIJCのために占拠されてしまったか、または人類の心を支配しようという彼らの戦いにおいて殆ど何の影響も及ぼさないほど、深く浸透されてしまった。彼らのその戦いは日本においては、大和魂を持つ世代が年老いて死んでいくことによって今日最終段階に入っている。


 1995年の現在、若者たちは、何の窮乏も、飢餓も、そして恐れられたB-29による爆撃の恐怖も知らない。彼らは、若者たちの見る気をそそるような描写しかしないテレビのショー番組で、『良き時代』として映し出されるものしか知らないのである。そして、若者たちは写真雑誌で見たものの鏡像をまた放映しようとするのである。それはIJCが彼らのために用意した計画だったのであり、娯楽産業が米国および世界に供給してきたのと全く同様に、今日の日本で見事に成功している。


幸運にも日本には『古き世代』がまだ少しは残っており、また小数ではあるが良く教育された若い人たちがいる。おそらく、可能性は大きくないかも知れないが、大和魂の炎を再燃させるには十分な人々がいると思われる。



■ 第27章  国際連合


      『・・・わたしはその人たちをあなたたちの長としよう。<13>』




読者はこれまで忠実に頁を追ってこられて、特定の言葉や問題が除かれているのを不思議に思われたに違いない。これまでは意図的に、国際連盟は簡単に概要を述べただけで済ませ、また国際連合に関しては全く触れてこなかった。これらは、世界をIJCに確実に届けるための輸送機関であり、またすべての事の頂点に位置するものなのである。従って、最終章のここでお話しするのが妥当と思う。すべてはこれらの隠れ蓑の下にある。


ウッドロー・ウィルソン大統領は1919年、パリに国際連合の種を運んだ。その時、彼はパリ講和会議に行き、国際連盟結成のための彼の考えをベルサイユ条約に盛り込ませたのであった。IJCはウィルソンを介して、世界という水の上に国際連盟を浮かべたのであって、それは十分な浮力を有しかけていた。


 唯、米国上院の外交委員長ヘンリ・ロッジと小数の先見性のある堅実な上院議員たちだけが、1920年に世界が征服されることを防いだ。この行為は結局時間を稼いだだけに終わってしまったが、今日でも政治的な対応が速やかに行われるならば、日本におけるIJCの侵入を止められるかもしれないと考える上では、極めて大きな業績であったと言えよう。


米国上院と同様に日本の最高指導者たちは、国際連盟の目標が何かということを早くから気づいており、自国を防衛するためにできるだけの手を打った。例えば、第一次世界大戦におけるドイツの太平洋統治地域を掌握した。また、1920年代初めのロンドンとワシントンでの軍縮会議において日本に対して策略が弄されたにも拘らず、できる限りの艦船を建造した。


 蒋介石配下の軍隊が動くまでは、その様な日本の活動は表面には出なかった。蒋介石はIJCの生産物、手下、道具であって、IJCに錠をかけられ、財産を所有され、手綱を握られていた。この辺の事情に関しては、本棚一杯の本の中で完璧に証明されている。例えば、パール・バック女史の小説『すばらしき大地(The Good Earth)』 、中国でのスティルウェル将軍<14> に関するバーバラ・タッチマン女史の歴史的記述などがある。張学良将軍へのIJCの工作によって追い出されようとした日本関東軍は彼を排除する軍事行動を発動し、これは全支那における軍事行動に拡大した。この日本の応戦は、20世紀初期の満州に進出しようとしたハリマン鉄道を含め、何十年にも亘って積み重ねられてきた中国側からの圧力に対抗するものであった。この交戦に関して米国大衆には、『中国に対する日本の侵略』という、噛んで含めるような虚偽の情報が与えられている。しかし本当の理由は、メンバーとして米国が抜けてはいたが国際連盟の力を世界に見せ付け、そしてその影響力を及ぼして世界を支配するためであったと、私は常に信じている。


 日本は1933年、スイスのジュネーブで開かれた会議で国際連盟を脱退することによって、正しい道を歩んだのである。それは日本に開かれた唯一の道であった。この事件は国際連盟の権力を崩壊させるのに効果的であった。


ここで私たちは、1940年、アルゼンチア湾でのチャーチルとルーズベルトの会談に目を転じることにしよう。幾つかの点でこの会談は興味深い。その一つは大西洋憲章である。これはこの会談で表明されたものであるが、その言し回しは、後の国際連合の『世界人権宣言』に繋がっている。もう一つは、同盟国(Allied Powers)という用語が、この会談と、特に米国参戦の時に広く使われ出して一般的用語になったということである。そしてその少し後、当時のプロパガンダの中で、同盟国(Allied Nations) という用語が連合国(United Nations)<15> という用語に置き換えられ、第二次世界大戦の中ごろ

 から何の疑問もなく使用され始めたのである。


 『United Nations(連合国、国際連合)』と『League Of Nations(国際連盟)』とは頭の字が単に置き換わっただけである。この言葉は今や正式な語彙となり、一般の人々の心に特別に焼き付けられてしまった。これを永久的な組織として正式化するために為れたことは、さらっとした告知だけであった。1945年6月26日、カリフォルニア州サンフランシスコにおいて、枢軸国と戦った側の国々が憲章に署名して、国際連合(United Nations) が存在することになった。


 その永久的な本拠地がついにニューヨーク市に置かれることになった。この都市は、国際連盟が主催されたスイスや、国際司法裁判所があるハーグの様な真正な中立的雰囲気などは、かって微塵も無かった場所である。1948年。この年は、次の、そして最後の、記憶しておくべき決定的な年である。この年にIJCは、その一連の最終的行動のための準備を完了させたのである。その建屋こそまだできていなかったが。


エディ・ヤコブソンはカンサス市出身のユダヤ人であり、第一次世界大戦においてはハリー・トルーマンに張り付いていた。ヤコブソンはトルーマンの商売上のパートナーとなり、後に彼が政界に入った時には腹心の友となった。この様なユダヤ人の例は多く見られる。例えばセイモア・ワイスは、ヒュー・P・ロングの政治的経歴のごく初期の段階で彼に張り付いていた。ワイスも同様の目的のためであり、ロングの場合は彼を大統領に押し上げるためであったと、私は信じている。


1948年、イスラエル問題は国連が直面した熱い話題であった。米国の立場は明確に示されていた。すなわち、国連による信託統治に賛成、主権国家としてのイスラエルには反対、ネゲブ砂漠が横たわる南部地域の領土化には反対、であった。その南部地域とは、ユダヤ人たちが六千年前に、一日分の水袋も載

 せないで、現在のサウジアラビアの別の地域に旅立ったという土地であった。ハイム・ワイツマン<16> はシオニストを率いていた元指導者として知られていたが、ワシントンを訪問してトルーマンを説き伏せて、意思を変えさせる役目を要請され、ワシントンに旅立った。ワイツマンの努力に関しては広く世界に宣伝されているが、ヤコブソンの件は余り知られていない。エディ・ヤコブソンは、差し控えるよう何度も指示され、またトルーマンの怒りを招いたにも拘らず、ワイツマンに先立ってワシントンに行き、激しい議論の末トルーマンをワイツマンに会わせたのである。それによってトルーマンは、彼自身、彼の内閣そして彼の国務省の意思を反転させた。


 デイビッド・マッカローが、1992年、ニューヨークのサイモン・アンド・シュスター社発行の著書『トルーマン(Truman)』の中で記述している次の文章は、他の何よりも明確に、かつ簡潔にこの事を説明していると思う。『新しいユダヤ人国家・・・ここ二千年間で初めてのユダヤ人国家・・・は、予定通りエルサレムの深夜、そしてワシントン時間では午後6時に、その誕生を宣言された。その11分後、ホワイトハウスでは、チャーリー・ロスが、イスラエル国(the United State of Israel)<17> の名称で、事実上公式に認める声明を発表した』1948年5月14日のその日、ワシントンのチャーリー・ロスは大統領の報道官であった。新国家の正式名称は、イスラエル国(The United States of Israel)。 この国家は、誕生するに際して米国から1億ドルを借用した。米国の国会議事堂は、そしてすべての職員を含む米国国務省は驚愕に包まれた。その中で一人の国連代表だけは、この事を告げられていた。私は、後でお話す

 るもう一人の国連代表もこの事を知っていたに違いないと疑っている。米国政府のすべてが衝撃状態にある中で、トルーマン大統領だけは正しいカードで勝負をしていた。1948年11月の総選挙では確実な勝者と目されていたデューイを、ユダヤ人たちの投票と惜しみのない貢献によって打ち負かしたのであった。トルーマンは大差で勝利した。世界はIJCの完全なる準備の下に敗北を遂げた。


本題からはやや逸れるが、ここで取り上げておくべきもう一つの問題がある。それはユダヤ人たちに関して存在する国際法上の市民権と特殊性であり、イスラエル国が建国されたことに起因する問題である。あるユダヤ人が、彼または彼女がユダヤ人であることを示す適当な書類を携えて、世界のどこかのユダヤ人領事館に行ったとする。するとその人に交付されるパスポートは、彼らの宗教と信仰上の理由によりイスラエル国から発行されるだろう。私は彼らの直近の家族に交付されるものも同様と信じている。これは宗教的国家がこの様な方法で市民権を授与できるという単なる例である。そしてこの様な事態が存在することは、米国および世界の人々には一般に知られていないのである。


 (著者註:市民権についてであるが、例えば日本人が米国市民権を取得しようとすると、まず必要条件にかなった書類を提出しなければならない。それによって初めに永住権が得られ、永住権発行の日から8年以上米国の法的義務(税金等)を遵守すると、市民権申請が可能となる。必要書類を揃えて提出し、許可が下りると集団宣誓式にて承認を得られるようになっている。しかし初めての永住権申請に関しては必ずしも申請が通るとは限らない。これがユダヤ人の場合には、例えばロシアから移民して来るとして、自分がユダヤ人であることを証明する書類を揃えて提出すれば、それで米国の市民権が得られることになっている。市民権を得れば、当然米国のパスポートが得られる。さらに、ユダヤ人であることを証明する書類をイスラエル大使館または領事館に提出して認められれば、イスラエルのパスポートが得られる。二つのパスポートを持っているユダヤ人は決して少なくない。米国のみならず、世界中どの国でもそれができるようになっている)国連の前にイスラエルに関する疑問点が提出された時に、反対派が何を知りそれをどう表明しているかの例として、1986年6月16日のダラス・モーニング・ニュース紙の署名入り寄稿欄からの記事を『証拠H』として添付しておく。


 【証拠H】 ダラス・モーニング・ニュース紙の読者欄(1986年)




この記事は、この本の範囲の終了点である1948年を超えているのであるが、イスラエルの指導者たちがテロ行為によって出現したことを示す内容を含んでいる。この記事はまた、IJCのためにトルーマンが生み出したいま一つの機関を示している。それはCIAであった。CIAは米国の情報機関から『南部の人々』を効果的に抹消し、その代わりにIJCの手下たちをしっかりと植え付けたのである。 


この事の最も強力な証拠は、アレン・ダレスのCIA長官任命であった。ダレスは、OSS(Office of Strategic Services) の名で知られ、前に説明したドノバンに率いられていた米国戦略事務局における実力者であった。ヨーロッパ部局の長としてのダレスと彼のグループは、ソ連とスターリンを介した日本の再三の降伏の申し入れを審議していた。


この本のクライマックスを飾るために、最後の一人の人物が温存されていた。エレノア・ルーズベルト大統領夫人である。彼女はエリオット・ルーズベルトの娘として生まれ、フランクリン・ルーズベルトの従兄弟に当たっていた。ユダヤ人たちに踏襲されている女家長制度を思い出して頂きたい。彼女はフランクリン・ルーズベルトの目であり、耳であり、足であった。足の悪かった彼の生涯を通して、彼女は彼の行けない所には行き、全く従順そうに現れた。しかし実際の彼女は過度に独断的な妻であり、今日のヒラリー・クリントン大

 統領夫人とどこか似ていた。ただヒラリーの場合は、イメージはそれほど美化されておらず、ヒラリー自身、彼女を報道するメディアに対してそれほど愛想も良くなく、逆に報道側も彼女に対して同様であることは付け加えておこう。エレノアが初期のラジオ放送を活用していたことは前に述べたが、彼女は毎日の寄稿欄も執筆していた。その記事は、米国の殆どの主要新聞紙に同時掲載された。それは『私の一日(MyDay)』と呼ばれていた。彼女は当時のニュース映画にも頻繁に登場した。また本書の時代記述の中でやっと使用され始めたばかりのテレビにも幾分登場した。一言で言えば、彼女は米国国民に良く知られていて、今は故人となった夫に甲斐甲斐しく尽くしていた謙虚な婦人のように思われて、
概して好かれていた。彼女にとって、それまでの仕事はこの様な雰囲気を作る上で最適なものであった。サンフランシスコで国際連合が正式に発足してからしばらくして、エレノアはハリー・トルーマン大統領により米国の国連代表の一人に任命された。トルーマンは、IJCにより無慈悲に使われて、米国の良識ある機構を破滅させた人物として常に思い出されるであろう。




私が見る限り、IJCが彼女のために国連で用意していた仕事は唯一つで、それは決定的に重要なものであった。それは国連人権委員会の委員長として活動し、世界人権宣言の草案を評決メンバーに答申する仕事であった。そして彼女はこの仕事を実行した。メンバーの国々はこれを圧倒的多数で採用した。私はこの宣言文を『証拠I』として添付する。


  【証拠I】 国連の世界人権宣言(1948年)(一部抜粋)(54KB)


投票が行われた後でエレノア・ルーズベルトは評議員たちに、今採択された文書は『世界の人々のための大憲章(MAGNA CARTA)』であると告げた。私は、エレノア・ルーズベルトの伝記をテレビで見ていてこの言葉を聞いた。その時私は、1215年に英国がIJCのために奴隷化されたのと同様に、1948年に同じIJCのために世界を奴隷化する何がこの文書に埋め込まれているのであろうかと、思わざるを得なかった。


 そして1995年の今、IJCは警察力を手中に収め、あらゆる主権国家の国内問題に干渉し、世界中から召集した軍隊を送り込んでいると、私は思っている。それらの軍隊には、対象とするその主権国家の宿命的な敵さえ含まれている。そしてさらには、不正に、偽善的に名付けられた日本の『自衛隊』までもが含まれる。この自衛隊の名称は朝鮮戦争のために設けられたものであったが、外国の権力に占領されたと同様の状況の下にさらに下位でこき使われるのである。すべては、IJCの為であり、その目的の為である。


 これをもって本書を終えることにしよう!



■結 言




つい最近の1995年5月の週末、米国の戦没将兵追悼記念日(メモリアル・デー)の日に、いささか注目すべき事があった。大半の国民が認め意義を持つある地方新聞に、ある記事が掲載されたのである。それは編集者宛の手紙の頁に掲載されていたのだが、その記事は極めて重要な事を記述しており、私が大人になってから米国で初めて見るような攻撃であった。読者の方には是非自分で読んで頂きたいので『付録』として添付しておく。この本を読み通されて感じた疑問に対して、この記事はその答の始めになるかも知れない。これが米国内での姿勢の変化の前触れとならんことを願う。


 【付録3】 サン・アントニオ・エクスプレス・ニュース紙の読者欄(1995年http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/reference3.html




■参考文献




本書の参考文献としては、約400冊の本を参照させて頂いた。キーワードとなる事項に関してはその多くを私の書斎にある本に依った。またテキサス州のダラス、フォート・ワース、サン・アントニオの公立図書館および米国公立図書館間の相互貸借制度も利用させて頂いた。この版ではこれらの本のリストは省略させて頂く。




IJCについて

私はこれら

 の人々を国際ユダヤ幇(International Jewish Clique) と名付けた。彼らは現代でも存在しているであろうと私は考えている。この名前を付けた1977年から時が過ぎたが、今でもこの名前を変更する理由は何もなく、私は今これを簡単にIJCと呼ぶことにする。この問題の調査と議論のためには、この名称は他のどんな名称にも引けを取らないと思っている。ここで何故この三文字を使用したのかを紹介する。


INTERNATIONAL(国際) は、すべての政治的境界線と地理的・物理的境界線を超越した彼らの活動領域に言及している。


JEWISH(ユダヤ)は彼らの本質を示す。会員の過半数はユダヤ教徒からなると私は信じている。但し現在はこの宗教集団に限定されないと思っている。というのは、彼らは必要に応じて他人の中に取り込まれてきたと思うからである。しかし、この集団の少なくとも80%はこの宗教であろう。


  しかしながら、すべてのユダヤ人がこの集団に属していると私が考えているとは思わないで欲しい。この様な事は明らかに真相ではないのである。世界のユダヤ人の0.1%の十分の一以下しかこの集団の存在を知らないと私は思っている。この集団の会員数は多くても150人を越えないであろう。 


CLIQUE(幇)は、他人をすべて排除する少人数の固く結合した人々の集団という意味である。


  『GROUP(集団)』 という言葉は、それが一般的な英語の意味で使用される時は、『他人を受け入れる』という意味を持っている。しかし、CLIQUE(幇)という言葉はまさに『排除する』というフランス語の語源からきており、使用される時はまさにIJCの様に、その会員は神聖な秘密を絶対に守り続けなければならないという事を意味している。

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イルミナティの世界覇権から日本を守れ

以前、日本会議のブログ「草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN」に紹介されていた大谷和正氏のご著書『世界を動かすのは誰か 国際金融財閥の罠から日本再生へ 』という本は単純な陰謀史観と一蹴できない内容を含んでいると読み進めながら思いました。 これから書くことは日頃の主張か

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