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嘘と真

株式日記と経済展望http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu124.htm






昭和天皇は合祀後一度も靖国神社に参拝されなかったが、

「A級戦犯」は天皇の身代わりとなって処刑された犠牲者である。




2006年7月20日 木曜日



昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀 7月20日 朝日新聞




昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。




メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。


 これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。


 メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。


 昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。


 昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。


 靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。


    ◇


 《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。


 個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。


    ◇


 靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。


 大きな国際問題になったのは、戦後40年目の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。


 昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。


 首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。


 自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。


 ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。


    ◇


《靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯14人》


【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)


東条英機(陸軍大将、首相)


板垣征四郎(陸軍大将)


土肥原賢二(陸軍大将)


松井石根(陸軍大将)


木村兵太郎(陸軍大将)


武藤章(陸軍中将)


広田弘毅(首相、外相)


【終身刑、獄死】


平沼騏一郎(首相)


小磯国昭(陸軍大将、首相)


白鳥敏夫(駐イタリア大使)


梅津美治郎(陸軍大将)


【禁固20年、獄死】


東郷茂徳(外相)


【判決前に病死】


松岡洋右(外相)


永野修身(海軍大将)






(コメント)

戦後において大東亜戦争の総括が行なわれないのはなぜか、という問題がありますが、それがなかなか行なわれてこなかったのは天皇の戦争責任の問題が避けて通れなかったためである。統帥権の問題を見れば分かるとおり天皇は陸軍海軍の最高責任者であり、上官の命令は天皇陛下の命令とされてきた。



だから天皇陛下が戦争するなと軍部に命令すれば戦争は出来ないはずであった。226事件が鎮圧されたのも天皇陛下の命令によるものであり、必ずしも天皇は無力な存在ではなく、終戦の決断を下すまで統帥権は生きていた。たとえ軍部が言うことを聞かなくともラジオで終戦の詔勅を直接読み上げる事で終戦は実現した。



だから戦争が始まる前に天皇陛下ご自身が体を張って戦争に反対すれば軍部といえども反対は出来なかったはずだ。確かに明治憲法上は法律的責任は問えないが、統帥権の問題からするとどうしても天皇の戦争責任は避けて通れない。



しかし戦後における連合国の統治政策により、天皇の戦争責任は不問とされて、代わりに統帥権に従った「A級戦犯」が東京裁判にかけられて処刑されたのだ。だからこそ昭和天皇は靖国神社に慰霊の参拝をされるべきであったと思う。



確かに松岡洋右元外務大臣のように大馬鹿者がいたこともたしかであり、天皇が近衛首相に松岡外相を外させる為に内閣の解散までさせている。だから無能であったという理由で犯罪者にされたのでは、歴代の総理大臣はみんな有罪になるべきであり、愚かであることで罪には問えないのだ。



戦前の「A級戦犯」たちも賢明な人物であったならば戦争などしなかったであろうし、戦争したとしても負ける事はなかったであろう。西尾幹二氏の講演会でも言っていましたが、戦前にも優秀な言論人がいたにもかかわらず政治には反映されなかった。その原因としては当時の国民の政治的無知や無関心が軍部の横暴を許したのだろう。



当時のマスコミや情報なども未発達のものであり、世界情勢や国内情勢などの認識が十分ではなかった。でなければ日露戦争の後の日比谷事件なども起きなかったはずだ。だからこそ大東亜戦争の悲劇を繰り返さないためには、普段からの政治的な啓蒙が必要なのですが、国民の政治的無関心さは戦前とあまり変わりがないのだ。



戦後における大東亜戦争の総括が行なわれない理由の一つも国民の政治的無関心が原因の一つでもある。テレビなどにおける政治討論のレベルの低さも酷いものであり、靖国問題も政治課題の一つですが、60年たっても冷静な議論をする事ができない状態なのだろうか? 問題なのは昭和天皇自身が何も語らずに墓場まで秘密を持っていったことだ。








太田龍の時事寸評http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi




昭和天皇が、A級戦犯靖国神社合祀に不快感、との富田メモが公表された。

そのことの意味。

??




更新 平成18年07月20日20時48分



平成十八年(二〇〇六年)七月二十日(木)

(第一千七百四十七回)



○平成十八年七月二十日の各紙夕刊は、



○靖国神社A級戦犯合祀に、昭和天皇が不快感、

 だから参拝していない、



○と言う、富田宮内庁長官の一九八八年のメモ、



○について、大きく報道して居る。



○とりわけ、松岡、白取(原文のまま)の合祀について、



○昭和天皇は、より強く、不快感を示したと。



○松岡洋右、白鳥敏夫。

 この二人の外交官は、日独伊三国同盟を推進したが、昭和天皇は、

 親英米派、とくに英国との結び付きがきわめて濃密であったので、



○英米帝国主義と決定的に対立する、日独伊三国同盟締結には、

 本心では反対であったろう。

 しかし、天皇としての拒否権を発動することは出来なかった。



○昭和天皇は、一九七八年、

 A級戦犯が合祀されてから、靖国神社に参拝して居らず、



○平成天皇も、一度も、靖国神社に参拝して居ない。



○この富田もと宮内庁長官のメモは、このたび遺族が公表した、



○と言う。



○つまり、一九七五年以後三十年以上、

 天皇は靖国神社に参拝して居ないわけである。



○今回のこの富田メモ公表によって、



○靖国神社と、昭和天皇との、



○明白な、根本路線上の対立が、



○白日の下にさらけ出されたことに成る。



○これは、小さな問題ではあり得ない。



○根本路線上の対立とは何か。



○それは、

 大東亜戦争に対する評価、東京裁判に対する評価、

 についての対立である。



○つまり、米英帝国主義に対する日本の戦争を正義の戦争、として

 今の日本人が評価すべきか否か、



○と言う問題である。



○この問題は更に、

 日本が、現在そして将来も米英帝国主義と戦い続けるべきか否か、



○と言う風に、発展するであろう。



○この「米英帝国主義」の実体は、



○イルミナティサタニスト世界権力、

 に他ならないのであるが。



 (了)







蛇足


昭和63年に倒れられて、慌しい時に、ほぼ危篤の状態の時に、そんな言葉を述べられるのか・??。


そのメモの信憑性が疑われる??。1970年代なら、わかる話であるが、死の間際では知る由も無い。


また、英国のガーター騎士団に選ばれているという事も、イルミナティとしては考えられることかもしれない。


英国大王室の傘下に入っていることなのか?

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昭和天皇 A級合祀に不快感

昭和天皇、合祀に不快感 靖国のA級戦犯に触れ (共同通信) - goo ニュース 20日の朝 みのさんの朝ズバを見たら当時の宮内庁長官が残したメモが見つかり日経特種となった話をしていた {/usagi/} 仕事場についてパソコンを覗くと記事になっている 爺の知識と技術では日経

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