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官僚改革が官僚主導ではね・・

昭和の軍事官僚と戦後の官僚・。戦後の第2の敗戦にもかかわらず、無責任体制を温存・。組織の自己目的化に終止符を打て・(廃止以外にない)。





いま日本社会は大きな転換をはじめている
。(1999年)


バブルにつまずき、経済活動が長期にわたる低迷を続けるなかで弊害が露呈した。添えは、輸出産業に依存した経済成長、成長部門に依存した税収と低生産性部門への再分配、官僚依存の政策決定、終身雇用を保障する企業社会などである。これらの戦後日本社会を形作ったさまざまな「もたれかかりの構図」が持続不可能となり、戦後システムは崩壊しつつある。長期不況からようやく抜け出し、経済社会の再生が始まろうとしているいま、破綻した旧来のシステムに代わる制度転換が不可欠である。そして新しい制度の設計は自己統治の理念に基づくチェック・アンド・バランスによらねばならない。


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省庁再編と官僚権力の制約


 七月に成立した中央省庁再編関連法は単なる省庁の数あわせではない。たしかに 省庁を合併させて、浮いた人員を定数削減に向けたり、独立行政法人に移すことで公務員削減の員数あわせをしているようにも見えるが、本質はそんなところにはない。

 今回の中央省庁再編関連法において、重要政策の基本方針について首相が閣議へ発議する権限をもてることになり内閣に対する首相の指揮権は強化される。また、新たに設置される内閣府を各省庁の上に位置づけ、重要政策に関する総合調整機能をあたえることや、経済全般の運営や予算編成の基本方針を審議する経済財政諮問会議を設置することなど、財政運営や経済政策に関する重要方針の決定を大蔵省や経済企画庁の所管から首相が直轄する内閣府へ移管するものである。このように、一般に内閣機能の強化とされる省庁再編策は、行政府における総理大臣のリーダーシップを強化し、大蔵省をはじめとする官僚組織の力を制約することにつながる。


 各省設置法における権限規定は、過去において不透明な行政介入の根拠に使われてきた。今回の設置法ではその権限規定を廃止し、所掌事務の範囲を示すだけとした。そしてその範囲の中で省庁に行政介入の権限があるのかないのか、行使できるかどうかは別個の法律を必要とするものとした。これも官僚の裁量的な権限を制約して行政介入を明示的なルールのもとに置くものである。さらに各省庁に政策評価部門を設置するとともに、総務省に府省の枠を超えて政策評価を行う機能を担当させる。政府が実施した政策に説明責任をとる体制を整備するものと評価したい。


 省庁再編関連法と同日に成立した地方分権関連法は、国の機関委任事務を廃止して地方自治体の自治事務に移管したり法定受託事務とするとともに、地方自治体に対する国の関与は包括的な指揮監督権から、基本類型にしたがった必要最低限のものに変えるものである。


省庁再編関連法と地方分権関連法に共通するものは官僚主導・霞ヶ関主導の裁量的行政介入を廃止してその権限を制約し、透明であらかじめ定められたルールに従った政策運営を目指すことである。



切り札は官僚任用の流動化


 しかし官僚の権力は不透明な行政指導とその根拠法にあるだけではない。国会で立法される法案は圧倒的に内閣提出法案の割合が高い。そして、内閣の最高意思決定機関である閣議は形骸化しており、閣議決定の内容は事前の事務次官会議における決定の追認に過ぎず、実質的には官僚組織が行政府の意思決定を独占してきた。そうであるからこそ、立法される法律案は官僚にとって都合のいい裁量性の高いものとなる特徴がある。したがって、行政介入を透明性の高いルールに基づくものにかぎるとともに、個々の省庁や法律を超えて一般化された基本類型にしたがうものとすることは官僚権限を制約する上でそれなりの意味がある。


 しかし官僚権力の源泉はそれだけではない。情報の独占、不作為など、独占的組織ゆえの問題が存在する。そのうえ人事権の相対的自立性が官僚の結束を高めている。省庁における本来の最高指揮権者は大臣だが、派閥の順送りで任命され平均在職期間が一年に満たない大臣には、官僚の実質的な指揮監督能力はない。一方、自立的な昇進システムと勇退後の天下り先割当までも官房が世話をする終身雇用制のもとで、省庁ごとの官僚システムに忠誠をあつめるメカニズムができあがる。こうした官僚権力を制約するには、官僚の不作為に説明責任を求める行政手続法や、先に成立した情報公開法とあわせて、内閣が代わるたびに行う高級官僚の政治的任命、公務員試験によらない中途採用や期限付き雇用など官僚の任用と昇進システムの流動化を図ることも必要となる。民間部門がリストラと雇用の多様化を進める中で、官僚だけが旧来の雇用形態を維持することはむしろ異常である。


バブル崩壊と長期低迷で露呈したもの


 強大な官僚権限は、いまに始まったことではない。しかしたび重なる官僚の不祥事と官僚組織から繰り出される諸政策の有効性低下は近年著しい。仮に官僚権限の淵源を昭和初期の総動員態勢に求めたとしても、それが永らく維持されてきたのは何らかの有効性が存在したからである。筆者は有効性が維持された根拠を国民共通の目標とたどるべき既定ルートの存在にあると考えている。


 しかし、キャッチアップ期に特有の条件は消滅した。豊かな社会が実現したどころか、世界に類を見ない急速な少子・高齢化に直面する状況になってみれば、官僚が得意の海外事例と過去の経験は役に立たない。さらにグローバル化が急速に進む現代社会では、海外のリソースをいかにうまく取り込むかが生き残りの条件である。

 こうした状況の下で、裁量的な権限のもとに国内の既存業界だけを政策に協調させていく行政手法が有効性を欠くのは当然である。政策の有効性が失われれば政策の持続は政治的にも不可能となり、金融業界、建設業界など裁量的で強大な官僚権限に依存してきた産業は存亡の危機を迎える。


 それだけではない。旧来の政策の有効性低下はきわめて広い分野に影響をおよぼし戦後システムを形作ってきた「もたれかかりの構図」を粉砕する。


 たとえばわが国の税制の特徴は直接税比率が高いことにある。税収の最大のものは所得税で、つぎに高いウエイトを占めるのが法人税である。所得税の太宗はサラリーマンの給料から源泉徴収される部分であり、利潤をあげて法人税を納める企業が好況時でも半数に過ぎないことを考えあわせれば、わが国の税収は成長部門に依存してきた。その税収を交付税や国庫支出金の形で地方に再分配してきたのが政府の役割であった。長期にわたる景気低迷と税収減はこうした「もたれかかりの構図」が、もはや持続不可能であることを意味している。


 民間部門でも「もたれかかりの構図」は清算を余儀なくされている。会社に就職したサラリーマンは終身雇用制を保障され、オンザ・ジョブ・トレーニングによるスキルの獲得まで会社に依存した人生をおくってきた。しかし年功型賃金体系のもとで後払いされる賃金の回収期になって、リストラ対象を通告される中年サラリーマンを見るとき、この雇用システムの崩壊が近いことが改めて感じられる。


 事実、新規学卒者の中には、社外に通用するスキルの獲得と再就職によるキャリア・アップを予定に入れた就職をめざすものが出てきた。


新しい制度設計の理念―市場中心主義


 現在進行中の電気通信産業革命によって、近い将来に誰でも・どこでも・誰とでも大容量・双方向の情報にリアルタイム・低コストでアクセスすることが可能となる。


 まず情報と資金が瞬間的にほぼゼロ・コストで世界中を動く。さらに情報や資金の移動コストがモノや人の移動コストのうち、かなりの部分を占めていることを考えれば、その移動も飛躍的に容易になる。こうして世界の市場は連結する。財・サービスはもとより、資金・資源・労働力・技術革新・ノウハウといった広範にわたるリソースの利用可能性が地球規模に拡がるのである。


 一方、世界規模での競争が生じることでもあるから、地球規模のリソースをいち早く取り入れることができなければ、急速に拡大する世界経済の取引から取り残されて、長期の停滞を余儀なくされる。働き手を欠く高齢者の多い成熟国家として、これは致命的な状況である。


 世界規模で移動するリソースにとって、できるだけ使い勝手のいい透明で公正な競争ルールをもつ競争市場を用意することが必要である。すなわち制度設計を市場中心主義に変えていくことがわが国における制度転換の第一の課題である。


 従来より広範な規制緩和に対しては、市場経済万能主義という批判が寄せられてきた。また世界的な通貨投機によるアジア経済の疲弊を見て、市場は暴走が不可避であり投機を遮断するためには競争の制限もやむを得ないとする見方もある。


 タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国における為替投機についていえば、短期資金の取り込みをしつつ大量に直接投資を受け入れる一方、大きな経済変動にもかかわらず対ドル固定相場制を維持しようとするなど、市場が未成熟である上に、市場中心型の制度への移行が未完成であることが為替投機が起こる最大の原因であるといえよう。世界規模での競争にさらされる以上、リスクとリターンが対称的に対応していて、モラルハザードが生じ得ない競争市場の制度設計が必要となるのである。


「市場万能主義」批判の虚構


 市場経済万能主義に対する反論は簡単である。現在わが国の政府部門は社会保険負担を含めて対GDP比で約四割になる。これはアメリカよりも多いが、ほぼ五割を超えている西欧大陸の諸国に比べて低い。そして残り六割にあたる民間部門の生産のうち、約四分の一が参入規制や価格規制など、いわゆる強い規制下にある産業によって生み出されている。


 この中には医薬品や食料品も入っているから完全な自由化など考えられないが、仮に民間が完全に自由競争になったとしても、急激で高度の少子・高齢化を考えれば、早晩、政府部門がGDPの五割を優に超えることは疑いない。状況はかつての夜警国家とは全く異なる。


 さらに、市場中心主義への移行を否定することは、現状を肯定することであり、これはすでに立ち行かなくなった官僚主導の裁量的で閉鎖的な協調的制度構造を温存することである。規制緩和を指して2世紀も前の古典資本主義がごとき主張を行うのはためにする議論としか考えられない。


 むしろ問題は、こうした事態において現状が持続不可能なばかりか、西欧の福祉国家モデルは手本にならないことである。手本のない世界において、競争者による創意と工夫がすぐに市場全体に広まるような制度設計が必要となろう。そしておそらく、どの国でも、同じような課題を抱えて制度改革を試みるであろうから、世界規模での制度の競争が生じることになろう。競争制度に関するグローバル・スタンダードはこうした制度競争の中で出現するものと考えられる。


自己統治とチェック・アンド・バランス

 新しい日本社会における政府の制度設計はチェック・アンド・バランスの理念によるべきである。ジョン・ロックに発した権力分立の概念は、イギリスにおいては王権の制限を意味した。絶対王政の経験のないアメリカに渡った権力分立の思想はトマス・ジェファーソンに代表される「建国の父」たちによって純化され、三権が互いに牽制しあって均衡をたもつ政治制度が設計された。それは、絶対的な権力は必ず腐敗し国民を苦しめるという前提のもとに、国民が共通の利益を実現するために考案した自己統治(self-government)のシステムである。


 どんな制度改革もそれ以前の制度の履歴を引きずっている。太平洋戦争の敗戦を契機に、占領米軍の指揮下で行われたわが国の戦後改革も例外ではない。制度設計を担当したアメリカにとって戦後改革の最大目的は戦争遂行能力の排除であり、健全な中間層の育成であった。その結果、民主化と平等化が先行し、個人の自由に立脚した制度設計のウエイトはもともと低かった。


 大部分の国民にとって自由化の意味するものは軍部や警察国家からの自由、隣組の相互監視からの自由であり、軍や特高が解体され、都市部での近隣関係が希薄になるにつれて、自由化の積極的な意味は失われた。こうしてわずかながら導入された自己統治の発想になる裁判の陪審員制や教育委員の公選制などは順次廃止され、ついにわが国の自由化は自己統治の理念に基づく政府権限の制約に進むことはなかった。


 しかし、官僚依存をはじめとするさまざまな「もたれかかりの構図」が破綻したいまこそ、制約を受けることのない権力の危険性を回避し、自己統治の理念に基づくチェック・アンド・バランスの制度設計をめざすべき時である。官僚権力の制約からさらに進んで、各省庁における企画立案と検査・監督権限の別組織化、最高裁判事は内閣による任命に止まらず、国会の承認を必要とすること、首相公選、立法府・行政府・司法府の基本単位に対してできるだけ国民の選択を反映させる一方、政府組織を機能別に純化させ相互牽制を行うように設置することなどがそれであり、制度の透明性、ルール化、一般化に加えて、情報公開法や行政手続法によって、政府の行政行為に対する部外者のアクセス・コストを低減し、いつでも外部から政府の個々の部局に対してノーをいいうる状況を可能にしておくことが、政府のアカウンタビリティーを確保することにつながる。


 また、市場中心主義の制度理念は、参入退出が行いうる分野であれば政治制度にも適用することができる。その一つが選挙制度である。一人が一人として数えられ、それ以上でも以下でもない(ブキャナン)という一人一票の原則と多数決という民主主義の原理がもっとも広範に実現するような選挙制度を設計すること、既存の政治家や政党が国民多数の意志に反する行動をとっている場合には、新しい候補者や政党が容易に参入してこられる工夫をすることは政治家や政党間の競争を確保し、有権者の主権を確保することにつながる。


 市場中心主義とチェック・アンド・バランスの理念に基づく制度改革は、わが国ではその端緒を記したに過ぎないが、必ずや二一世紀における生き残りをかけて新しい日本社会の中心理念となって行かざるを得ないものと考えられる。(『改革者』99年8月号所収)



蛇足


上記のように99年当時から、少しの進歩したのだろうか??。役人天国ではないか?


官僚制度自体はすでに御用済みであるにもかかわらず、市場経済にも官僚の魔の手が迫っている状況だ。せっかく、官僚の崩壊で、市場経済の活性化が行われたが、違う形のグローバル化と勝手気まま、優遇資本主義により、一部の人間だけにメリットがある改革となった。その証は、村上ファンドを初め、官僚からの転進なのだから、空いた口が塞がらない・


上級公務員など4年任期の改選をすればいい、任命権は国民の代表となる。現業の公務員は、最低賃金制度にして民間との流動化を促進すべし、ボランティア意識の高揚で、仕事のモチベーションうを揚げるしかないだろう。


40兆円の税収で、公務員に40兆円払っていては、いずれ行き詰るのは明らかだ。まず、賃金を半分にカットしてしまうぐらいの思い切った制度が必要だ・。


NPO法人の所轄は内閣府国民生活局である市民活動促進課であるが、その実、規制促進課である。役人による風評被害、嫌がらせ、疑義をちらつかせる。官僚ネットワークの民間団体対する嫌がらせは発生している。


まあ、日本は官僚などの公務員制度は全廃からやり直すべきだろう。

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フランスもそうやったんやな。

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