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先の戦争。


これは一体、何時の何処の話なのであろう??


第2次世界大戦は1939年のドイツに対するイギリスの宣戦布告からか?


この時点では日中戦争はしていた。




太平洋戦争は米英蘭仏などの欧米に対する太平洋植民地残存勢力との戦いなのである。


植民地支配をしていたフランスやオランダはすでに無く、東南アジアは実質、仏蘭などの残存勢力が守っていたに過ぎない。風前の灯火の英国が健在だけで、結果として植民地支配を打破した訳である。




日中戦争は満州事変からなのか?上海事変からなのか・・何処を中心にするのであろうか?


結果として、太平洋戦争と重なってしまった。




東アジア戦争をしていた局地戦から敵を米英等まで広げた戦争である。


ヨーロッパの戦争でドイツが目一杯の戦線拡大して収拾がつかない状況の中で、ドイツの敗戦が見えた2週間前に日本を引きずり込んだ訳である。




戦争をしたい(引き込みたい・・イルミナ紅茶は日本の味方・海軍首脳陣・戦後戦犯に問われていない人)


軍部と欧米支配層が一致した結果であろう。




先の戦争は第2次世界大戦にコミットした(この時点でそこまでのすべての紛争も含められた)日本軍の戦略戦術ミスすべてを先の戦争としたことであろう。


敗戦はすべての責任の基である。






九州科学技術研究所よりhttp://www3.ocn.ne.jp/~saigouha/paper04/taiheiyousensouhaiboku01.html


海軍部の極東裁判無罪人の責任は??


かつて米内光政海軍大臣の懐刀であった井上成美海軍中将は、「頭がよすぎて戦が下手だった」と云う悪評が高く、戦後は反戦将軍として知られた人物である。彼は山本五十六、米内光政と並ぶ親米派のフリーメーソンであり、ミッドウェーやソロモン群島の海戦の各々に口を出し、珊瑚海海戦では「惜勝」に終わらせた提督であった。所謂軍人として先見の明がなかったのである。そして井上中将は戦術家というより、学者肌の人であった。



 日本が絶望的な敗戦の悪夢のプロセスに至るまでの主因となったのは、海軍の珊瑚海海戦とミッドウェー海戦、それに第一次ソロモン海戦と南太平洋海戦である。そしてこれらの海戦の敗北の主因は、全て指揮官の不手際から起こったものであった。殊に井上成美海軍中将の珊瑚海海戦における不手際は有名である。

 これらに比べれば、この時期、陸軍はむしろ常識的な判断で善戦したといえよう。ただし、中国大陸戦火拡大と、ガダルカナルの苦戦に見られた逐次投入という愚行を除けはの話である。



 「頭がよすぎて……」という悪評が付けられた提督たちは他にも沢山いた。その代表格が山本五十六であろう。真珠湾作戦では知将の名を欲しい儘にしたが、ミッドウェー作戦の大敗は一挙に凡将の最たるものに押し下げ、愚将の名すら周囲から飛び出す始末であった。



 山本五十六はミッドウェー作戦の実施に当たり、東条首相が、「近く、総選挙があるので大きな作戦は差し控えたい」と云った意見に対し、「海軍は政府の人気とりのために戦争をやっているのではない」と突っぱね、強引にミッドウェー作戦を強行した。



 陸軍の戦略家として知られる石原完爾は、太平洋戦争を、海軍の無謀な作戦に最後まで振り回された戦争であったと回想している。

 この大きな原因は、陸軍の軍首脳部が海軍の攻撃終末点を確認できなかったこと、陸軍の海空戦に対する認識が薄かったこと、更には海軍の局面的な陸戦隊のピンチに対して陸軍が航空兵力の援助をしなかったことである。陸海軍ともに縄張り争いを主張して足並みが揃わず、最後までそれに固執していたことが、戦わずしてアメリカに勝利を送った結果となったのである。



 さて、日本軍が最大の壊滅状態に陥った主因に迫ろう。

 日本を敗北に導いたのは、ミッドウェー海戦の敗北にあると云いっても過言ではなかろう。

 ミッドウェー作戦の失敗は、白村江以来の敗北といわれ、当時海軍で戦争を体験した人達は、これに触れられることを好まないようである。



 白村江の敗北は、『日本書紀』に記されており、この書物によれば、六六三年、白村江で日本と百済の連合軍と、唐と新羅の連合軍が戦った海戦であり、日本は友好国であった百済の王子・豊璋を救援するために進軍したが、途中唐と新羅の連合軍に遭遇して壊滅状態になり、これが原因で百済は滅亡した。この箇所が『日本書紀』の「白村江之戦い之条項」に記されているのである。



 平安時代、公家たちのテキストとして勉強会に使用されていた『日本書紀』は、親しく購読されていたが、斉明天皇紀のこの条項になると、いつも飛ばして読んだといわれる。それと同様に当時の人々にとっては、ミッドウェー海戦の敗北はショックな出来事であった。



 珊瑚海海戦の敗北を皮きりに、ミッドウェー海戦の敗北、第一次ソロモン海戦の敗北、南太平洋海戦の敗北、ガダルカナルの苦戦と撤退、マリアナ沖海戦の敗北、サイパン陥落、レイテ沖海戦の敗北、台湾沖海空戦の敗北、硫黄島玉砕、フィリピン陥落、沖縄玉砕と日本は一方的な負け戦ばかりを続けている。



 この一方的な負け方は何に起因するものなのであろうか。特に海軍の勝手に仕掛けた作戦が悉く失敗してしまったのは、過去の歴史から見ても空前絶後、前代未聞の失敗であった。

 その作戦の悉くに失敗を願うかのような流れがあったことも事実である。海軍の流れから云うと、米内政光、山本五十六、井上成美の面々は、日米開戦不可説を唱えた人物たちである。



 彼等は「開戦は同時に敗戦」であるばかりでなく、「最初から負けるための戦争」、「日本を敵国アメリカに売り渡し、その支配下に入れるための手段」を実行したのではないかという疑問がしばし残る。

 その第一の理由として、彼等は戦争目的をはっきりさせなかったということが揚げられる。これを追及すれば、元々勝つための戦争を、わざわざ負けるように仕組んだ様にも窺われる。



 第二に、彼等はフリーメーソンのメンバーであった。負ける戦争をして、日本をその儘そっくりアメリカに明け渡す指令を何者(イルミナティ)からか受けていたのではなかろうかということである。そうでない限り、一方的な負けはなかったのではなかろうか。これは海軍に限らず陸軍にもいた。大本営の参謀であった服部卓四郎、瀬島龍三(戦後は伊藤忠商事会長を勤め、後に同社特別顧問)や辻政信(戦後は国会議員となり謎の失踪をする)らである。何れも統制派集団の軍閥に属していた。彼等は日本の戦局を一変する天王山とも云うべき作戦に全て関わり、大敗をするような作戦の立案をしたのである。



 太平洋戦争末期、海軍兵学校の校長をしていた井上成美中将は、兵学校の生徒に軍事学よりは普通学を重点において指導した。理由は敗戦を既に予知し、終戦工作を準備していたものと思われる。連合艦隊は戦う度に敗れて勢力を減少し、昭和二十年四月七日の戦艦『大和』の沈没で、日本海軍は壊滅状態になった。井上中将の思惑は、今更軍事学など無用だと思ったのであろうが、元々負ける戦いを仕組んだ集団の一員としては、終戦工作に尽力を上げ、積極的に軍隊解体に力を尽くした方がベストであった。



 そして何としても本土決戦を避け、一億玉砕を避けねばならなかった。双方が決戦を行えばいくら優勢のアメリカ軍でも無傷では済まされない。多くの人命が失われ、幾多の血を流さなければならなくなる。親米派の井上成美は、日本人の流す血より、アメリカの青年の血を惜しんだ観がある。その準備が海軍兵学校の外交や政治経済、英語などの普通学であった。



 では井上成美は海軍兵学校における指導教科を軍事学から普通学に変更したのだろうか。

 恐らくアメリカ政府の動向をこの時、既に何らかの手だてで入手していたものと思われる。元々負けるために始めた太平洋戦争である。

 米内光政、山本五十六、井上成美と並ぶこの人脈は海軍の親米派集団であった。彼等がアメリカによって日本は敗北の道を歩み、やがてアメリカによる占領政策が開始されるであろうという推測をしていた節がある。

 アメリカ政府は一九四二年(昭和十八年)八月、国務省内で対日戦後の政策が検討され、その研究が行われていた。



 日本軍はバターン半島を占領し、マッカーサーをフィリピンから追い出して以来、連戦連勝の勝利に酔い痴れた観があった。しかし山本五十六の強行に主張するミッドウェー作戦やガダルカナル中心のソロモン海戦などに敗北を重ね、連合艦隊が戦う度に敗れては勢力を少しずつ減少し始めた頃、アメリカは推測通りの各々の反攻作戦を見事に成功させていた。反攻作戦の成功は早くもアメリカ政府に対日戦の終結目的を考え出させ、日本の戦後処理の焦土と化した占領政策を研究させていたのである。



 もう既に、この時に負けるべき戦いは以外にも脆く敗北の方向に傾き、推測通りに運ばれていたのである。 指揮官より軍政官の方が向いていた井上成美は、アメリカ政府で検討されていた対日戦の終結方式の特別情報を知っていたものと思われる。



御用学者の責任はどうなているのか??


喩えば、航空本部や第三陸軍航空技術研究所の体当り攻撃の実用審査において、東京帝国大学建築学科の浜田稔教授は、次のように主張した。 「飛行機が爆弾を付けたまま体当りをすれば、爆弾の爆発力が小さくとも、飛行機自体の重力加速度で艦船の三層の甲板を貫いて、底部に達することは可能である」と豪語したことである。 また、この主張に同調した学者も少なくなかった。


 東京帝国大学の造兵研究の青木保教授、九州帝国大学の栖原豊太郎教授、東北帝国大学の抜山四郎教授や同大学の鈴木隆教授などが、軍のおべっかい学者となって、非科学的な軍上層部の体当り攻撃を効果甚大とみなして尻馬に乗り、連鎖反応のように同じ主張を繰り返した。

 そしてこれらの学識経験者たちは、揃って、戦闘機の空中での、戦闘や敵の索敵警戒域の実状を知らなかった。 ただ、彼等が力説して憚からなかったのは、口を揃えて、「人間が操縦して行って、飛行機を敵艦に命中させれば、艦船は確実に撃沈できる。何故ならば、飛行機は人間が操縦して、体当りするのであるから、単に遠くから予測計算で弾丸を打ち込むのと違い必中は確実である」と豪語したことだった。

 これらの、軍のお抱え学者の助言と、学術的な結論に気を良くした軍上層部は、死を恐れない精神主義を持ち出して憚らず、体当り攻撃に反対する者は、卑怯未練な非国民だと決め付けるようになった。愛国心を巧みに利用して、消耗戦を若者の命で補おうとしたのであった。


 ここで見逃してはならないことは、建築学者の浜田稔教授の豪語した物理的根拠である

 浜田教授が主張した物理的根拠は、実は間違いであり、その間違いの第一は、艦船のデッキプレートの甲板をコンクリートの床板に置き換えて計算していることである。


 第二は、爆弾を積んで体当りする飛行機を剛体に見なしていることである。第三は、体当り目標である艦船は移動物体ではなく、固定された建築物のような不動物体として考えていることである。仮に沖合いに停泊していても、艦船は海という海面に浮かんでいる関係上、物理理論の作用反作用からも分かるように、緩衝が起こる筈である。 更に、大きな疑問は、飛行機と艦船の重量の違いである。

 飛行機は、せいぜい五トンから七トン未満であるが、艦船はその多くが数千トンから数万トンにも及ぶ。果たして、この重力の違う双方が、いくら爆弾を抱えて体当りするからといって、本当に艦船を破壊することが出来るのであろうか?これについて国民は何も疑わず、学識経験者の権威的な思考に導かれて、特攻美談神話を誰もが信奉し始めていた。


 特攻機が艦船の甲板を破壊する前に、飛行機自体が破壊されてしまうのは当然のことである。この無知で、非常識な机上の空論を、戦争を知らない学識経験者が、現実の戦場に持っていこうとしていいるのだから、何とも恐れ入る限りである。これは人命無視を通り超した愚かな妄想であった。しかしその妄想は中止されることなく、実際に終戦まで続行されたのである。

 今日に至っても、陸海軍が行った特攻隊については様々な賛否両論の議論がなされている。


蛇足


靖国の論議の前に、国民の側からこの戦争の責任(人道・戦争遂行・敗戦)を問われた者がいるのだろうか??巨悪は良く眠る・・?。













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