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満州・バイカルへの郷愁。




蛇足


日本人のルーツは何処かと?と言われる。朝鮮半島や中国からの移民ではないかなど・戦後教育で東アジアの平和を訴える動きがあり、中国や朝鮮、在日朝鮮・韓国人と同祖などと過去、中国、朝鮮を通って日本の民族になったように言い、朝鮮優位の仕組みを唱え、中華思想から自分らが文化を教えてやったというわけのわからん優越感を持つに至ってはどうしようもない。がしかし、中国人、朝鮮人と日本人とには遺伝的、民族的に大きな相違か見られる。日本人は朝鮮半島から来たのではない。朝鮮半島を治めに行ったのである・。



Gm遺伝子から探る日本人の起源

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参考図表↓

http://www.narayaku.or.jp/narayaku/image/dna_map.jpg


1901年、オーストラリアのラントシュタイナーによって、ABO式の血液型が発見され、それがメンデルの法則にしたがって遺伝する事が解った。

1918年、ポーランドのヒルシェフト夫妻は、血液型の分布が、民族によって相違する事を見いだした。


ヒト遺伝子に基づく集団にわけるという目的に、

きわめてよくかなう血液型として、「Gm遺伝子」がある。


免疫反応として、タンパク質の一種である抗体は、

細菌やウィルス等の異物が体内に侵入すると、特定の異物を選んで結合し、それを破壊する。


血液中のタンパクの一つであるガンマ・グロブリンは、免疫蛋白と言われ、

Gm遺伝子のGmはガンマ・マーカーの略で、ガンマ鎖の遺伝標識をもつという意味である。


抗体が持っている血液型「Gm遺伝子」の型は、人間集団によって、明確に異なっている。

また、同じ人類集団に属していても、民族集団が異なると、

その集団間で、遺伝子頻度が著しく違うという性格を持つ。


松本秀雄氏は、このGm遺伝子について、膨大なデータを集め、

日本民族の体内に保たれている「分子時計」の示すところをあきらかにされた。


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松本秀雄氏は、およそ次のように述べる


1)Gm遺伝子の分布によって、蒙古民族は、「南方系」と「北方系」に大別される。

そして、日本民族は「北方系」である。

南方型蒙古系民族との混血率は、せいぜい7~8%であって、それほど高いモノではない。


2)日本民族は、北海道から沖縄に至るまで、ことGm遺伝子に関する限り、驚くほど等質である。


3)アイヌの人々も、遺伝子構成に於いて、一般日本人と殆ど変わらない。


4)他の日本人集団と、幾分の相違を示すアイヌと沖縄・宮古の人々とがまったく等質である。


5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じである。

ただ日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。

朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子パターンを持ちながら、それよりはるかに
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる。

中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などによって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。




6)中国の場合は、Gm遺伝子の頻度分布に、南北方向の勾配がみとめられる。

漢民族の場合は、「北方型」と「南方型」の二つの型の存在を考えないと、分布パターンの説明が難しい。


7)日本民族に高頻度に見られる遺伝子パターンの特徴は、バイカル湖畔のブリアートをピークとして四方に流れており、蒙古、オロチョン、朝鮮、日本、アイヌ、チベット、コリヤークエスキモーに高頻度で、その源流はバイカル湖畔とするのが妥当と見られる。


そして、松本氏は次のように結論する


日本民族は、北方型蒙古系民族に属し、そのおおもとの起源は、シベリアのバイカル湖畔と推定できる。






渡島管内森町特産の「韃靼(だったん)そば」が、
口コミでファンを拡大している。町営農対策協議会(会長・湊美喜夫町長)が試験栽培や加工技術開発に取り組み、95年から生そば、そば茶などを町内のアンテナショップで販売。そばの成分で高血圧症などに効くルチンは、普通の日本そばに比べ約270倍の含有量があるという健康食品。パン、まんじゅう、クッキーと、そば粉を使った特産品が続々と誕生している。


 韃靼そばはロシア・バイカル湖付近が原産地で、韃靼人(モンゴル系遊牧民)が栽培していたことに由来する。「苦そば」ともいわれ、ほろ苦さが特徴だが、加工次第でおいしく食べられる。駒ケ岳山ろくの寒暖差を利用し、無農薬で有機栽培する森町では今年、約1ヘクタールの作付面積から2000キロの生産量を見込んでいる。




トルコの名前の由来テュルク(Turk)


テュルク(Turk)は中央アジアを中心にシベリアからバルカン半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。実際には政治的・文化的に分節された様々なグループあるいは民族の総称であり、テュルク系諸民族とも言う。


中国史料に見られる丁零が、「テュルク」の語で自称・他称されていたと考えられる民族に関する記録の最古のものであると考えられている。丁零は匈奴と同時代にモンゴル高原の北方、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民で、匈奴衰退後の3~4世紀ごろ南下して「高車丁零」を立てたが、6世紀前半に柔然に滅ぼされた。同じ頃、中国史料に鉄勒(てつろく)という当て字で記録される、テュルクの名を持つ人々が現れ、丁零の原住地バイカル湖沿岸から、中央アジアのカスピ海西岸に至る広大な地域で遊牧していた。また、同じ6世紀中頃に、やはりテュルクの音写名で記録される突厥(とっけつ、とつくつ)が現れ、柔然を滅ぼし鉄勒諸部族を服属させてモンゴル高原からカスピ海北岸のキプチャク草原に至り、ソグド人などの定住民が居住する中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築き、その支配のもとで中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型が形作られた。




満州国

中国(漢民族の天下)と満州(モンゴル、トルコ、ツングース系の国家)が全く別の文化圏であり、満州が中国の領土だったことが(第二次世界大戦後まで)一度もなかったことを示す。そして当時の満州が匪賊の巣窟となっており、略奪、強姦、誘拐が日常茶飯事の無法地帯だったこと。日本の介在によってようやく平和と近代化が訪れたことを論証する。近代化や民族協和を理念とした満州国。この国は「傀儡国家」ましてや「植民地」などと呼ぶべきものではなく、当時世界でも類を見ない理想国家だった。第二次世界大戦という政治の荒波に揉まれてわずか13年で夭逝したことに、現代における「アジア新興国家の国家モデルも喪われてしまった」と黄氏は言う。




朝鮮の国


朝鮮半島は大陸と陸続きであるため、常に中国や北方民族など周辺諸国の侵入を受けてきた。隣国の日本ですら海を越えて朝鮮半島へ侵入している。古代史の分野において朝鮮とは、現在の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の領域を言うが、歴史の過程においては、中国の遼寧省・吉林省などを含む場合もある。朝鮮の地名が初めて現れるのは中国の戦国時代末期(紀元前3世紀)からである。日本に「古事記」「日本書紀」があるように、朝鮮半島にも独自の歴史書がある。アジア史に出現する最古の記録としては、中国の史書、司馬遷の『史記』の中に、「殷」滅亡時、東国に逃れた殷の王族の箕子(きし)が「箕氏

朝鮮」を建国した話が載っているが、これはいわゆる伝説王朝としての扱いであり、史実としての信憑性は薄いと考えられる。朝鮮人自身が書き残した、最古のまとまった朝鮮古代史として、高麗朝(1280年代)に書かれた「三国遺事」(僧一然が編纂)という書物がある。これが、朝鮮人自身が自国を朝鮮と呼んだ最初だという事になっている。それ以前は、三韓・海東などと呼んでいた。「三国遺事」によれば、朝鮮最古の王朝は「檀君王倹」が開いたと言うことになっている。




聯合の首都は大和・桜井。7世紀前半。

唐に対抗する東アジア共栄圏構想があったと言われる??。


字統》神聖な場所を示すために標木として建てる禾形の木のこと。

《諸橋大漢和》1.しるしの木。2.二つ並び立つ。3.四つ並び立つ。4.大きい。5.たけしい。いかめしい。6.めぐる。7.うれふる。




(逸周書謚法解)

【辟土服遠曰

[意味] 武力によって四夷を征すること。

[彙校] 辟土とは僻地のこと。






桓国は、における神話伝説の国。実在の国ではない。


神話によれば、古代朝鮮の最古の国は桓国であり光明の国を意味するとする。桓国は虞婁国、養雲国など12の国から構成され、バイカル湖を中心に、南北が5万里, 東西が2万里とする。桓国の君主は桓仁とよばれ、7代3301年。桓国の中核は紀元前3898年に倍達国を建てたとされる。




武天皇


日本根子皇統弥照尊(やまとねこみすまるいよよてらすのみこと)と和風諡号をおくられた。それとともに漢風諡号として、桓武天皇がおくられた。また柏原帝(かしわばら)、天國押撥御宇柏原天皇とも呼ばれた。




上記は檀君伝説と絡ませて朝鮮の歴史と言っているが、バイカル湖起源は上記のように日本人に近いものであり、遺伝子的に地理的、民族的に朝鮮人とは違う。







防人(さきもり)って何?

防人(さきもり)は、筑紫(ちくし)・壱岐(いき)・対馬(つしま)などの北九州の防衛にあたった兵士たちのことです。崎守(さきもり)の意味(ただし、色々な説があるそうです)だと考えられています。


664年に中大兄皇子(なかのおおえのみこ)が防人と烽(ほう:烽火(のろし))の制度をおいてからのことです。これは、前年(663年)の朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦いに負けたために、防衛のために考えられたようです。


防人(さきもり)の選定、任期、辛い旅

防人には東国の人たちが選ばれました。なぜ東国の人たちが選ばれたかは良く分かっていませんが、一説には東国の力を弱めるためとも言われています。任期は、3年で毎年2月に兵員の三分の一が交替とのことですが、実際にはそう簡単には国に帰してはもらえなかったようです。


東国から行くときは部領使(ぶりょうし)という役割の人が連れて行きます。もちろん徒歩(ラッキーなときは船)で北九州まで行くわけですが、当時の人たちにとって辛い旅だったことは間違いありません。また、帰りは、なんと、自費なのです。ですから、帰りたくても帰ることができない人がいました。また、無理して帰路についても、故郷の家を見ること無く、途中で行き倒れとなる人たちもいたのです。






騎馬民族征服ではなく、そのまま騎馬民族系の人種が基本にあり、中国の影響を受け大陸化が徐々にすすんだのであろう?。


東国はシベリア・ツングース系の血を引く勇猛な武人が多かったのではないか??


朝鮮人や中国人と同じ民族なら防人などは出さないだろう?


中国史料に見られる丁零が、「テュルク」の語で自称・他称されていたと考えられる民族に関する記録の最古のものであると考えられている。丁零は匈奴と同時代にモンゴル高原の北方、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民で、匈奴衰退後の3~4世紀ごろ南下して「高車丁零」を立てた後、フン族としてヨーロッパに進出した。と言う事で、日本民族はアッチラ大王と民族的に近いのかもしれない??



バイカル湖に浮かんだら♪http://my.reset.jp/~baikal/index.html

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