FC2ブログ

山本尚利氏コラムから

ベンチャー革命2007年8月17日

                           山本尚利

タイトル: シュンペーター理論実践の有無:日米経済力の格差



1.日本はシュンペーター経済理論の古典に再度、学べ

 2007年8月17日付け日経新聞の経済教室に、岡崎哲二東大教授(経済学部)が、有名なヨー

ゼフ・A・シュンペーターのイノベーション論を引用して、今後の日本経済の発展にいかにイ

ノベーションが重要かを力説されています。日経新聞の読者なら本論文を読んで、この主張

に反対する人はほとんどいないでしょう。ここで定義されているイノベーションは、人工知

能型コンピュータで実現されるのではなく、やはり生身の人間(人材)によって実現される

はずです。となれば、イノベーションを起こす人材が持続的にかつ、できるだけ大量に輩出

されないかぎり、今後、日本経済の発展はないという理屈になります。上記論文によれば、

シュンペーターの考えた経済発展の起動力とは「企業者による新結合の遂行」とのこと。こ

こで「新結合」とは財や生産要素の組み合わせを変革することを意味し、組織の変革やマー

ケティング手法の変革を含むとされています。つまりイノベーションは技術革新のみなら

ず、組織革新、マーケティング手法革新など非技術的革新を含む広義の概念といわれていま

す。要は、ハイテク・ベンチャーや新規ビジネスモデル創造型ベンチャーの活躍がイノベー

ション活動そのものであり、それが経済発展の起動力となるとシュンペーターは言っている

わけです。この場合、ベンチャーは、既存の企業から生まれる(企業内ベンチャー)かもしれ

ないし、既存の企業とは別に、個人が創業する独立ベンチャーかもしれません。いずれにし

ても、シュンペーターのいう、イノベーションを起こす「企業者」とは、今の言葉で「ベン

チャー」を指していると思われます。まさに拙稿「ベンチャー革命」(本メルマガのタイト

ル)こそが、シュンペーターの定義するイノベーションの意味するところです(笑)。

 さて上記論文は、裏返せば、ベンチャーの活躍しない、あるいは活躍できない社会では経

済発展はないと主張していることになります。それならば、この論文はひょっとして、ベン

チャー不毛の現代日本のことを言っているのかとも受け取れます。また、この論文では、シ

ュンペーターと同時代(20世紀初頭)に活躍したジョン・M・ケインズの経済理論にも触れて

います。ケインズ理論は簡単に言えば、公共投資主導で投資家を励起して産業経済を発展さ

せることが可能であることを数学的に定式化して証明した経済理論でしょう。明治以降の近

代日本は官主導、大資本主導で経済発展したのは確かですから、その延長線上にある現代の

日本もケインズ理論の当てはまる経済構造を有する社会なのでしょう。



2.シュンペーター理論と脱工業化社会の関係は

 ところで、国家経済に関して、上記論文のように近代国家を経済論で語るほかに、文明論

あるいは社会論で語る考え方が一方にあります。その代表的なものは、ダニエル・ベルの脱

工業化社会論でしょう。そこで、近代国家の経済構造は、工業化社会と脱工業化社会に区分

できそうです。上記の二大経済理論と対比させると、工業化社会はケインズ理論で説明でき

る社会であり、脱工業化社会はシュンペーター理論で説明できる社会であると仮説を置くこ

とができそうです。もし現代日本が脱工業化社会に突入していれば、上記論文の主張すると

おり、シュンペーター理論で説明できる社会となっているはずです。ところが、岡崎教授が

2007年8月の今、日本は古典的なシュンペーター思想に学ぶべきであるとあえて主張されてい

るということは、逆に言えば、現代日本はシュンペーター理論が学ばれていない社会、すな

わちシュンペーター理論が十分に実践されていない社会であることを意味します。この点に

ついては筆者も感覚的に同感です。

 それならば、シュンペーター理論の実践されていない現代日本は脱工業化社会となってい

ないでしょうか。そんなことはありません。総務省統計局の就業者構造統計の推移をみて

も、バブル崩壊後の日本では、1992年を境に、サービス業の就業者数が製造業の就業者数を

抜き、それ以降、製造業就業者数が一貫して減少していることから、日本は90年代初頭に、

脱工業化社会に突入しているとみなせます。

 現代日本は米国に次ぎ、世界第二位のGDP(国内総生産)を誇る経済大国であり、国民一人当

たりの生産高(35,786ドル、2005年)水準では、立派に先進国レベルですから、現代日本は米

国に次ぐ先進国であり、脱工業化社会に入っているとみて間違いありません。

 以上の議論から、現代日本は、堂々たる脱工業化社会になっているのに、その社会を説明

するシュンペーターの経済理論が実践されていないという結論に到達します。確かに、現代

日本は決して、ベンチャー革命の盛んな社会ではありません。その証拠に、スイスのビジネ

ススクールIMDの世界競争力ランキング2007(米国は総合1位、日本は総合24位)ですが、ベ

ンチャー革命の原動力となる起業家精神力の国際競争力が日本は55ヶ国中53位だそうです。

その他、様々な国際統計が示すように、日本国民の起業家精神力は世界的に極めて低いのは

確かです。

 ここで、再度、日本経済に関してシュンペーター理論と脱工業化社会論の関係でみてみる

と、日本国民は起業家精神力が弱い、すなわち、シュンペーター理論の実践力が弱いにもか

かわらず、脱工業化社会に到達したと結論付けられます。

 このことから、成熟国家というものは、シュンペーター理論を実践しなくとも、工業化社

会が完成すると、自動的に脱工業化社会に突入すると考えられます。 



3.シュンペーター理論の実践:脱工業化社会に隆盛する経験産業

 さてそれならば、上記の脱工業化社会の中味はいったい何なのでしょうか。一般的には、

情報化社会とか知識社会といわれます。1985年、日本の代表的フューチャリストの堺屋太一

氏は、知価社会という概念を提唱されています(注2)。知価社会とは、端的にいえば、知識

が価値を生む社会ということです。つまり脱工業化社会では、情報、知識、知恵という無形

資産(知的財産)が、工業製品・設備や不動産など有形資産とは独立に固有の付加価値を生

むのは確かです。そして、脱工業化が進むほど、無形資産価値の比率が高まるといえます。

 ところで、筆者は経験産業論者(注1)ですが、脱工業化社会のあるべき姿とは、経験産

業社会ではないかと90年代初頭から、個人的に主張しています。経験産業とは、社会インフ

ラが完成し、物質欲が満たされた社会(工業化社会)で隆盛する新産業群(「ものづくり」

に比重を置かない産業群)を指し、人間の経験価値を満足させることを主眼とする産業群を

いいます。具体的には情報産業、知識産業のほか、娯楽産業、ヘルスケア産業、欲望産業

(風俗やギャンブル)を含みます。ここで断っておきたいのは、経験産業は工業化社会が完

成し、健全に維持されて初めて、成立する産業であるという点です。整備された工業化イン

フラ抜きには絶対に成立できない宿命をもっています。植物にたとえれば、健全なる根と茎

と葉が維持されて、初めて開花するアダ花ということです。ちなみに経験産業社会の米国で

は、最近、その足元で橋の崩壊事故(ミネアポリス)を起こしています。さらにいえば、経

験産業は自然災害やテロや戦争が起こると真っ先に崩壊するもろい産業でもあります。さて

90年代、米国シリコンバレーを発端に米国全土で開花した新産業は主に経験産業とみなせ、

シュンペーターの理論どおり、どちらかといえばベンチャー主導の新産業であると言えま

す。ならば経験産業(Experience Industry)はなぜ、ベンチャー主導となるのでしょうか。

それは、人間個々人の経験価値に訴求する商品・サービスは、工業化社会の規格量産型の商

品・サービスに適合しないことが多いので、必ずしも大企業向きではないからです。

 日本には昔から「猫に小判」ということわざがありますが、人間は小判を欲しがるが、猫

は小判に見向きもしないという意味です。経験産業はまさに「猫に小判」型産業であり、売

り手から供給される商品・サービスの消費者価値観が、個々人(買い手)で大きく異なる点

に特徴があります。工業化社会向きの電化製品や車は誰にも必要で、持ってない人は誰もが

欲しがりますが、買い手個人の個別経験価値に訴求するゲームソフトやエステ・サービスは

誰でも欲しがるとは限りません。要らない人にはそれこそ「猫に小判」となってしまいま

す。その意味で製造大企業の得意な量産型「ものづくり」が、あまりなじまないのが、経験

産業の特徴です。買い手の嗜好が千差万別で、激しく変化するわけですから、経験産業分野

の商品・サービスは伝統的大企業より、ベンチャーのほうが、柔軟に対応できる傾向があり

ます。

 また経験産業分野の企業の経営規模が大企業のカテゴリー(年間売上数兆円規模)であっ

ても、その事業展開組織は、多数のベンチャーの集合体のようになる傾向があります。シリ

コンバレーのブランド大企業は、その事業展開方法も組織も、日本の伝統的ものづくり大企

業のそれらとは、大きく異なることが多いと思います。



4.シュンペーター理論実践の有無がもたらした日米経済力格差

 ここで、国家経済の発展に関して、日米を比較してみましょう。筆者のみるところ、米国

は、80年代初頭に脱工業化社会に突入し、日本は既述のように90年代初頭に脱工業化社会に

突入したと思われます。80年代の米国は、ベトナム戦争の後遺症と、有力な日本大企業の挑

戦によって、経済苦境に陥っていましたが、90年代、シリコンバレー主導で、ハイテク・ベ

ンチャーが大ブレーク、シュンペーター理論の実践が佳境に入りました。一方、日本は、米

国覇権主義者による陰に陽の対日攻略(注3)の効果もあってか、90年代以降、長期の構造

不況に陥りましたが、結局、ベンチャー主導経済への移行には成功できないまま今日に至っ

ています。すなわち、シュンペーター理論の実践が十分できていないわけです。

 そこでシュンペーター理論の実践の有無が日米の経済発展にどのような結果をもたらした

か比較してみますと、1991年から2005年までの対GDPの実質経済成長率の平均は日本が1.23%

に対し、米国は3.03%と2倍以上の格差があります。

 一方、GDPそのものは、米ドルベースで95年から2005年の10年間、日本は5兆2620億ドルか

ら4兆5540億ドルと13.5%減に対し、米国は7兆3980億ドルから12兆4870億ドルと68.8%増で

す。ドル・円の為替評価の変化が含まれるとはいえ、なんという大きな格差でしょうか。戦

後の日本は長期にわたり、慢性的な対米貿易黒字国であり、累計3兆ドルから4兆ドルにおよ

ぶ長期、短期の米国債を保有していると密かにいわれていますが、上記のドルベースの日米

経済力格差には、日本の国富が知らず知らずに、ドル基軸国である米国に移転されている分

が含まれているわけです。しかしながら、90年代半ばから今日に至る米国経済の発展規模

は、米国覇権主義者による日本の国富収奪量(3~4兆ドル)を大きく上回ります。この差分

こそ、米国のシュンペーター理論実践の賜物といえます。

 結局、脱工業化社会に到達した成熟国家では、シュンペーターの定義するイノベーション

に貢献する人材(ベンチャー)への育成投資の量と質が国家経済力を決することになりま

す。にもかかわらず、日本の大学工学部志望者(イノベーション人材の卵)総数が1992年の

62万人から、2007年は27万人へ激減している(注4)そうです。なんと由々しき問題でしょ

うか。



注1:寺本義也・山本尚利[2004]『MOTアドバンスト:新事業戦略』JMAM、p35

注2:堺屋太一[1985]『知価革命』PHP

注3:山本尚利[2003]『日米技術覇権戦争』光文社

注4:2007年8月15日付け、日本経済新聞記事



山本尚利(ヤマモトヒサトシ)

hisa_yamamoto@mug.biglobe.ne.jp


http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm


http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/magazine-menus.htm

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

kane552004

Author:kane552004
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR