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1900年に朝鮮に国は存在しえたのか?

1900年に朝鮮に国は存在しえたのか?


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国際連盟(こくさいれんめい 英:League of Nations)は、第一次世界大戦の反省を踏まえ、1920年に発足した世界史上初の国際平和機構。


1920年の国際連盟総会



1920年の国際連盟総会



本部はスイス
ジュネーヴ
に置かれていた。








国際連盟の沿革 設立 


アメリカ合衆国大統領
ウィルソン
により提唱され、ベルサイユ条約
の第1編に国際連盟規約に定められたことで設立された。


最初の加盟国は28カ国で、最終的に60カ国以上が加盟している。


アメリカ合衆国
自身は、議会の反対(モンロー主義
)があり国際連盟には参加していない。また、ソビエト社会主義共和国連邦
は最初は除外されていた。このように大国の不参加によって当初から基盤が弱いものであった。





経緯


1920年代には小規模紛争解決の成功例もあるが、第二次世界大戦を控えた1930年代には、1933年
日本
ドイツ
が、1937年
イタリア
が連盟から脱退、その後も枢軸側中小国の脱退が相次ぎ、大規模紛争の解決に対する限界を露呈した。また、1925年
コスタリカ
が地域紛争の解決失敗を理由に、1926年
ブラジル
が常任理事国入り失敗を期にそれぞれ連盟を脱退していたが、1930年代後半から中南米諸国の脱退が急増した。そして第二次世界大戦の開始に伴い、連盟は機能不全に陥り、1939年
12月の理事会においてフィンランド侵略を理由に1939年
にソビエト連邦を除名したのを最後に、理事会、総会共に活動を休止した。


国際連合
の発足後の1946年
4月に第21回総会を開催し、投票により連盟の解散と資産の国際連合への移行を決定した。 国際司法裁判所
や、国際労働機関
は国際連合に引き継がれた。


  • 機構

  • 総会Assembly」

  • 理事会Council」

  • 事務局Secretariat」

  • 国際司法裁判所Permanent Court of International Justice」

  • 国際労働機関International Labour Organisation」


他に常設委任統治委員会、常設軍事諮問委員会、軍備縮小委員会、法律家専門家委員会などで構成される。


現在の国際連合
とは異なり、最高決定機関は「理事会」ではなく「総会」であった。また決定方法は多数決
ではなく「全会一致
」を原則としていた他、軍を組織することができず軍事制裁は行えなかったので経済制裁
までの権限しかなかった。このため、紛争解決に何ら効果を発揮できなかったとの非難がある。


但し、現実世界に対処できなかったという批判はあるものの、国際社会が史上初めて、その参加国も全ての総意を以って意見を集約をするという理想を追求した理念は現在においても評価されている。


発足当初の常任理事国
日本
フランス
イギリス
イタリア
の4カ国。


しかし、満州事変
に関する日本
への勧告やエチオピア
侵攻に際してのイタリア
への経済制裁等、常任理事国が関係する紛争に対しても可能な限り対応した点では、現在の国際連合
においては常任理事国
が関係する紛争処理については困難であることを考えると評価する意見もある。また、紛争処理以外では効果を上げたとする指摘もある。





日本との関係


日本は脱退まで常任理事国だった。 国際連盟事務局次長には新渡戸稲造
が選ばれた。 日本はヨーロッパ
から離れていたためにヨーロッパ諸国間の紛争に比較的利害を持っていなかったことから、概ねヨーロッパの紛争に対しては公平な第三者として調停を行うことができた。


1933年
3月、満州事変
での対日勧告を定めたリットン報告書
を採択し、それに反発した日本は国際連盟を脱退した。





リットン調査団


(-ちょうさだん/The Lytton Commission)は、国際連盟
(連盟)によって満州事変
満州国
の調査を命ぜられたイギリス
のリットン卿を団長とする国際連盟日華紛争調査委員会より出された調査団の通称である。


概要 調査団派遣の経緯


1931年
(昭和6年)南満州鉄道が爆破される柳条湖事件
が発生した。翌年
、関東軍は清朝
最後の皇帝溥儀
を執政として満州国
を建国した。同年3月、中国
の提訴により連盟からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、3カ月にわたり満州を調査、9月に報告書(リットン報告書)を提出した。





調査団の要因構成


1932年1月、リットン調査団が結成された。委員は下記の5名。


  • リットン(Victor Alexander George Robert Lytton)卿(英)56歳:枢密顧問官・元インド副総督

  • アンリ・クローデル陸軍中将(仏)62歳:フランス植民地軍総監

  • フランク・ロス・マッコイ陸軍少将(米)59歳

  • [アルドロバンディ伯爵(伊)56歳:外交官

  • ハインリッヒ・シュネー博士(独)61歳:国会議員・元独領東アフリカ知事


また上記の他に、紛争当事国からのオブザーバーとして、


  • 吉田伊三郎:外交官

  • 顧維鈞:外交官


も参加していた。





調査団の旅程


調査団はまっすぐ満州入りするのではなく、紛争当事国の視察も行っている。 調査団の視察が完了したのが1932年6月。 それから同年8月までに北京で調査報告書を作成し、国際連盟
理事会に提出。





報告書の内容


1932年10月2日
に公表された報告書の内容は下記のとおり。





結論


報告書では、中国・満州の実情を述べた後、下記のように論じている。


  • 柳条湖事件及びその後の日本軍
    の活動は、自衛的行為とは言い難い。

  • 満州国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。


と、中国側の主張を支持しながらも、中国の日本製品不買運動に触れ、


  • 満州に日本が持つ権益、居住権、商権は尊重されるべきである。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力を行使している限り、平和は訪れない。


との日本への好意的解釈を示している。





紛争解決に向けた提言


また、日中両国の紛争解決に向けて、下記のような提言を行っている。


  • 「柳条湖事件以前への回復(中国側の主張)」「満州国の承認(日本側の主張)」は、いずれも問題解決とはならない。

  • 満州には、中国の主権下に自治政府を樹立する。この自治政権は国際連盟が派遣する外国人顧問の指導の下、充分な行政権を持つものとする。

  • 満州は非武装地帯とし、国際連盟の助言を受けた特別警察機構が治安の維持を担う。

  • 日中両国は「不可侵条約」「通商条約」を結ぶ。ソ連がこれに参加を求めるのであれば、別途三国条約を締結する。





報告者への各国の反応


満州事変を「内政干渉」としつつも日本にも一定の理解を示したこの報告により、連盟各国は和解の基礎が築かれたと大きな期待をもった。だが、「満州国の承認を得る」という1点だけは譲れない日本はこれに反発。1933年
3月の総会決議の結果、賛成42・反対1(日本)・棄権1(シャム[現タイ])、松岡洋右
全権率いる日本はこれを不服としてその場で退場(同月国際連盟脱退
)。以後日本は孤立の道を深めていくことになる。





日清戦争前夜 李氏朝鮮http://world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-050520.html



清の強大な軍事力には対抗するべくもなく頼り切っていた。

朝鮮半島という位置は大陸の動静に直接影響されるので、同情するところはあるが、

「寄らば大樹の陰」といった自立心の欠如が伝統となっている




200年間人口に変化がないというのは、民衆が塗炭の苦しみを日々送っていた

ことを物語っている。



社会では男尊女卑の思想が徹底し、家系図に女子の名前は書き残されていない。

しかし、国政では国王の王妃一族が政治の実権を握る「勢道」がおこなわれていた。

そうでもしなければ両班による王朝側の危機感が増すばかりであったのだ。



まったく目を覆う惨状とはこのような状態を言うのである。

国を憂える人はなく、ただ己れの栄華を追及するだけの支配層のもとでは民衆の

自由など考えられるものではなかった。







蛇足


国際連盟は1920年代で28カ国で出発して1939年休止ごろには60カ国になった。アメリカが参加していない、途中参加であるがソ連も中途で除名されている。日英同盟明治時代
後期に結ばれた日本
イギリス
との間の軍事同盟。1902年
(明治35年)1月30日
にイギリスのロンドン
で締結された 第1次日英同盟協約から第2次・第3次と継続更新され、1923年
8月17日
に失効した。第一次世界大戦
終了時まで、日本の外交政策の基盤となった同盟である。)により国際連盟は第1次世界大戦により日本、イギリスを中心にした世界観であった。朝鮮併合について世界の中心であるイギリス、アメリカ、フランスに実質認められた併合である。1921年四カ国条約(よんかこくじょうやく)とは、1921年
ワシントン会議
において調印された条約。アメリカ
イギリス
フランス
日本
が、太平洋
における領土と権益の相互尊重と、諸島における非軍事基地化を取り決めた。この条約により日英同盟
は解消。)の有力国で取り決めた相互尊重により、日本の領土が確定している。時代が下った状況でこのようなものである。アジアの国など認めてもらう対象が無く、1800年代後半朝鮮は中国の属国か県か省の一つでしかなく・民族などについて国と言う概念は無く、保護する対象でしかなかった。中国の没落で、ロシアか日本かに助けを請うしかなかった時代である。ロシアになれば、戦乱が続き、今でも朝鮮半島に国は無かったであろう。中国としても、国は無かったであろう。日本で良かったのではないか?事実日本人になったのであるから・。1900年世界にはほとんど国はなかったのであるから・




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